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緩和ケア病棟に移ったあと

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妻は最期の2週間を緩和ケア病棟で過ごしました。

ここに来たときは「とうとうここまできてしまったか」という気持ちでした。

でも最後に家族と一緒にいれた期間、この2週間は色々な意味で良かったと思います。

 

まず緩和ケア病棟でやることですが、基本的に延命措置(蘇生処置?)はしないと最初に担当医師に言われました。

ただし、モルヒネやその他苦しみを和らげる薬は多く使いました。あとは痰の吸引とかもやります。

根本的な治療は行わないですが、苦しみを和らげることが中心なのだと思います。

あとはマッサージ等をボランティアの人が行ってくれました。

 

妻と妻の母との関係

妻は生前、義母との関係がかなり悪化していました。

表向きはなるべくうまくやろうとしていましたが、内心は義母に対してのストレスは相当溜まっていたようです。

でも最後のこの2週間、義母は毎日妻の面倒を見てくれ、日中は何時間もかけて家から毎日病院にきては遅くまでいてくれました。

きっとまだ話せるときにも色々会話したのでしょうか、妻は義母がいないときに涙を流しながら、

最後に母の本当のやさしさを知って良かったといっていました。

 

最期にずっと一緒にいれた

私と息子は度々病室に一緒に泊まりました。前のブログで記述したとおり、何度も「剥がし」てあげたり。

歯を磨いてあげたり、トイレに連れて行ってあげたり、一緒にテレビをみたり、水を飲ませてあげたり、

息子もご飯を食べさせるのも頑張って手伝ってくれました。

妻も殆どご飯を食べれないのですが、息子が口に運ぶと必死にそれにこたえるように食べていました。

妻の最期の4,5日間は夜も付き添っていたので、昼は義母、夜間は私一人で妻の事を看ていました。

 

亡くなる日の前日

私が寝落ちしそうになって握っているてが離れると「手離さないで」とほとんど動かない口で声を出し、

ほとんど動かない手で私の手を揺さぶってきて、一晩中寝ずに手を握りしめていました。

私が寝てしまうと、ナースコールも呼べないので、不安で怖かったのもあると思いますが、

こんなことは初めてで、妻はもう長くないことを感じていたのかもしれません。

その後、朝になり義母との交代の時に来た親戚にも帰り際に耳元まで顔を持ってこさせ、「ありがとう」と言っていました。

それから数時間後、私が仮眠を終えて病院に帰ってきて直ぐに妻は亡くなりました。

 

緩和ケアというと、暗いイメージがありますが、そこはそんな感じではなく、看護師さんも皆さん良い方で、病棟では色々なアクティビティを行っていました。

最期に家族で過ごせるように色々と工夫されていて、2週間という短い期間でしたが、色々な思い出が詰まっています。

また、私自身も病院に何日間も泊まり、医療現場、看護師さんの事を見てきたのですが本当に彼らは凄いです。

夜勤の方とか、あれっ?この前お昼いましたよね?みたいな。

生活リズムとかあったもんじゃないですよね。本当に感謝、尊敬しています。

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